医療には、国境が存在する

菅波:僕たちが難民キャンプに行くと、確かに医療行為はできます。しかし、それは難民キャンプだけ、という限定的なものです。

それ以外のところに行って、たとえばサバンナの真ん中で現地の人の集落があって、そこに医療がないから勝手に医療行為やるのは合法的でない。ただ、黙認という状況はあるかもしれないが……。無料でやっているうちはいいが、もしそこでビジネスとして医療行為を展開していったら、やはりものすごく問題になる。

そういう意味で、もともとはある国の税金であっても、その「お金」と、サイエンスとしての医学そのものは、世界中で通用する。しかし、それを「使う時」には社会学が必要になる。だから医療と医学は違うということです。

たとえば、タイに行くと「頭に悪い霊が宿っているから、そこを触ると体に悪いことが起きる。だからそこに触ってはいけない。」という信仰があるわけです。直接頭に触れて「君、可愛いね」とやること自体が問題なんです。そういう現地の人のものの見方、考え方、それから身体に対する価値判断が、文化によってまったく違う。価値判断というのはサイエンスではありません。だから胃がどこにあって心臓がどうあって、その働きとして1人の人間が生きて、どう行動しているのか。そしてその人が病気になった時にはどういうふうに支援するべきなのか。そのやり方は、その人の属している文化の領域でもあるわけです。

それは、確かに外国の人にはわかりにくい面もあるし、国家試験として課せられるふうにはならない問題がある。だから、それはいろんな意味で危険なことなんです。ですから、医学は国境を越えられるが、個々の社会の文化に係わる領域の複雑に入り込んでいる価値判断というのは、なかなか国境を越えられない。従って、医療というのは国境を越えられないものなんです。


坂:ただ、建築でも、デザインがうまいとかへたというのは非常に主観的なことで、海外に行って、たとえば文化とか歴史とか宗教とか違う人達に「これいいでしょう」と持っていっても、必ずしも評価されるとは限らないんです。だったら、地元の建築家を使うということになります。そういう主観的なことを越えたところで自分のアピールするものがないと、海外では仕事ができないとは思いますが。


菅波:僕が思うのは、今国際社会というのは国単位なんですよね。

民族自決の原則というのが19世紀にできて、一般的には最大民族が国をつくっているわけですよ。

そこで国家が自らの主体性を維持するために絶対に手放さないものが2つある。

1つは税金システムです。これは国家それぞれを成すものとしてつくり上げられていますから国境があるわけです。

もう1つが医療なんです。だから、ライセンスがものすごく、ものをいいます。その意味で、税金と医療には国境があるんです。

ところが、芸術とか音楽とか、あるいはその点では坂さんの建築も国境がないといえる。本当にインターネットなんかにのってグローバルにワーっといけるのは、やはり元々国境がないやつなんです。


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